缶詰の中身

緩く鉄道好き、あと食べるのとサッカーと遠出の話がメインかな

いじめの話(暗くて長いのでスルー推奨)

ハイクでいじめられていることを告白した学生とハイカーさんたちとの心温まるやり取りを見てふと自分の学生時代を思い出した。

いじめはいけないことだけれど、学生同士のいじめは時に加害者も被害者だったりするから勧善懲悪とは行かないことがある。

 

私は、いじめられたこともいじめたこともある。

子供のときは特に我が強く、協調性がなく、自分が正しいと思いあまり人の意見を聞かず、頭の良さをひけらかしていた(実際は当時珍しい中学受験を目指していたってだけなのに)

出る杭は打たれる(悪い意味で)方式のいじめだった。私が今学生だったら友達にはなりたくないタイプだ。

仲間はずれにされたり物を隠されたり石を投げられるような軽いいじめだったのであまり堪えず、逆に気に入らない相手を言い負かしたりして

しょうもない子供だったので教師のサポートもなく気づいたらいじめはなくなっていた。

 

いじめられている間もめだちがりやの性分は消えず学級委員に立候補したりして、

変なプライドでいじめに屈するほうが屈辱だとさえ思っていたので親にも教師にも言わなかった。

 

いじめが消えたら何をしたかというと気に入らない相手に直接文句を言ったり

ちょっとわがままな子を見ると正論を振りかざし、少しでもいじめの片鱗を見せた子を逆に責めたりしていた。

協調性がない上に直感で行動していたので徒党を組んだりはしなかったが、私が怖い故に誰もとめたりもしなかったし同調する子もいた。

本人は正義を主張していたつもりだが完璧いじめっ子である。

 

私の家は公営住宅に住めるほど収入がない・・・ぶっちゃけ貧乏だったが、家庭は円満で親や親戚からの愛情に何の問題もなかった。

逆に私をいじめた子の内の何人かは、片親であったり裕福だけれどネグレクトにあったりしていてどう見ても環境の問題が彼女たちの行動に影響を与えていた。

いじめはもちろんいけないことだ、だけど環境に恵まれたがゆえにわがまま邦題に育った性格難ありのいじめられっこと

環境に恵まれず鬱屈したものを抱えているいじめっ子を比べていじめっ子は完全な悪であると私はいえないと思う。

 

学校という場所は閉鎖的で残酷なところで、人間同士絶対にそりの合わないタイプでも狭い空間でうまくやれと強要する。

私の性格や行動が癇に障って日ごろ抱えていた鬱屈を発散させた彼女たちを悪にしたところで問題は解決しないんじゃないか。

私は私であの時自分は打たれる杭であることに気づけたことを今では貴重な体験だと思っている。そしていじめをした自分を忌み嫌うことで大事なことにも気づけた。

 

何年か前に同窓会であったかつてのいじめっ子たちは普通の同年代の人間だった。

そして残念なことに1人は親の愛が得られずに亡くなっていた。

私は特に怖いとかうらみもなかった。彼女たちも被害者なんだと思うとただかわいそうにと思った。

そりが合わないことは間違いないが、もっと広い世界で会っていたらお互い無難な関係が築けただろうに。

 

いじめはいけないことだ、間違いない。だからこそ、いじめる側いじめられる側の両方が未熟な未成年であった場合、どちらもフォローする必要があると思う。

私のいじめられた例は特殊でほとんどの子はきっと意見がいえなかったり、なんか人と違うって理由だけでいじめられるのかなぁとおもう。

だから自分を反省したり卑下したりする必要は全然ないけれど、相手にももしかしたら何か事情があるのかもしれないと(特に周囲が)思うことから

いじめ問題への解決の糸口は探れたりしないだろうか。